激しい波風と灼熱のアジアパシフィック選手権のIronmanCairnsを無事完走。激しい波風と灼熱のIronmanCairns。MTBのOlympian竹谷選手の数分遅れ日本人5位(プロ含む)でFinishiし目標の10時間ぎりも達成。20km地点で竹谷さんに追いついた時は驚きました。
そしてIronman世界選手権KONA ~ Hawaiiのスロットをロールダウンなしのストレートで獲得。
アジアパシフィック選手権なので出場者も多く、レベルが高い激戦枠でのストレートでの世界選手権出場権の獲得は素直に嬉しいですね。
これで9月はIronman70.3世界選手権,10月はIronman世界選手権KONA ~Hawaiiへの出場が決まりました。
2016年は2つの世界選手権への出場が決定。2017年はショート・ミドル・ロング、1年で3つの世界選手権に出場するのを目標とします。
30年間もIronmanに挑戦し続け,初めてスロット獲得した方や、初Ironmanでスロット獲得した方,レース直前の金曜日に父を亡くしたばかりの方。
様々なドラマがあり感動の表彰式とスロットミーティング。こういう瞬間に立ち会えるのも良いですね。
Ironman Asia-Pacific Championship Cairns 9:54:53【65/1434:プロ含】
トライアスロンを初めて直ぐ仕事でアイアンマン世界選手権KONAのレースを観戦。その世界感に魅かれました。魅力を感じたのは競技だけでなく旅としての側面でした。
世界中から予選を勝ち抜いたトライアスリート達が性別・年齢・人種・障害の有無を問わず同じスタートラインに立ちゴールを目指す。
観客達は過酷なIronman Raceを走り抜いたトライアスリート達に敬意を表し,そのイベントをを楽しみ鐘を鳴らしながら,大声で声援を送る。
レース中,トライアスリート達は競技にも関わらず,すれ違いざまにハイタッチを交わし互いの頑張りを讃えながら自分の持っている力振り絞ぼってゴールを目指す。
人によりペースは様々で,最終走者のゴールは真夜中になり,そして最終走者がゴールした直後に花火が打ち上げられレースの勝者と同じくらい大きな歓声が湧き上がる。
こんなスポーツは他にあるのだろうか?
【これは競技であり旅だ。こんな素晴らしい舞台に一度は立ってみたい】と思いました。
しかし🚴♀️ロードレースの実業団選手をやめてトライアスロンに挑戦しようと決めた6年前は50mを続けて泳げず、ランは5km程度で脚が痛くなるレベル‥。
この舞台への参加を明確な目標にするには、現実を観ればかけ離れていました。
練習を初めてからも月間平均40時間程度の練習量や自身の性格を考慮すると、メインレースはミドル(Ironman70.3)にしようと決めていました。
そしてデビュー2年目からはミドルのレースを中心に世界の旅を愉しんできました。
しかし3年ほど前からママチャリで左折巻き込みにあうなど様々な不運が重なりました。
そんな時クライアントから『KONAを目指すのでよろしくお願いします』と言われ『指導するなら自分もKONAを目指してみよう』と考えるようになりました。
約2年の休養を経て,去年の6月にレースに復帰し、8月Ironman北海道を初完走,11月に4度目のIronman70.3の世界選手権の切符を獲得。
しかし事故で再び腰椎圧迫骨折,肩板損傷,頚椎捻挫。再びリハビリを重ね2月から減量を開始し,4月からトレーニングを再開。
この50日間は試行錯誤しながら質量共に今迄にないスタイルでトレーニングを重ねました。そして初めての海外でのアイアンマンレース。
艱難辛苦汝を玉にす。この言葉を信じて淡々と日々のトレーニングをこなしました。
今回KONAのスロットを獲得出来たのは自分の力だけでなくトライアスロンを始めると決めて7年間で出逢ってきた仲間達やUNITYのメンバー達,Bike FittingやCoachingを受けて頂いた皆様,そして応援して頂いた方々のお陰です。
事故による腰椎2ヶ所の骨折と脚を2ヶ所骨折,その他にも腱断裂等々様々な怪我や不運に見舞われた悪夢の3年間(笑)は【トライアスロンはもう出来ないかな?】と何度も思いました
なので自分にとっては順位もタイムも他との比較,完走の有無さえも大きな意味をなさず,ただその舞台に立ち【いま”現在”の最善を尽くせたこと自体に感謝】しかありません。
日常生活では勿論,交通事故で意識不明になった時も,骨折と腱断裂の後遺症で,歩行すら困難になった時も,常に支え続けてくれた家族に感謝,ありがとう。
今回は暴風雨のレースでしたが大会の運営も素晴らしく,最高の大会でした。来年も必ずこの舞台に戻ってきます。
🌕リアルタイムのSNS発信より
Ironman Asia-Pacific Championship Cairns 9:54:53【65/1434:プロ含】 Triathlonを初めてすぐに仕事でKONAのRaceを観戦,その世界感に魅かれた。魅力を感じたのは競技だけでなく旅としての側面。世界中から予選を勝ち抜いたTriathleteが性別:年齢:人種:障害の有無を問わず同じスタートラインに立ちゴールを目指す。
観客達は過酷なIronman Raceを走り抜いたTriathlete達に敬意を表し,そのイベントをを楽しみ鐘を鳴らしながら,大声で声援を送る。レース中,Triathlete達は競技にも関わらず,すれ違いざまにハイタッチを交わし互いの頑張りを讃えながら自分の力振り絞る。人によりペースは様々で,最終走者のゴールは真夜中になる。そして最終走者がゴールした直後に花火が打ち上げられレースの勝者と同じくらい大きな歓声が湧き上がる。
こんなスポーツは他にない?【これは競技であり旅だ。こんな素晴らしい舞台に一度は立ってみたい】と思った。しかし🚴♀️の実業団選手をやめ,トライアスロンに挑戦しようと決めた6年前は,50mを泳げずランは5km程度で脚が痛くなるレベル。この舞台への参加を明確な目標にするには現実からかけ離れていた。
練習を初めてからも月間平均40時間程度の練習量や自身の性格を考慮するとメインレースはミドル(Ironman70.3)迄。その為ミドルのレースを中心に世界の旅を愉しんできた。様々な不運が重なり,約2年間の休養を経て,去年の6月にレースに復帰し8月Ironman北海道を初完走,11月に4度目のIronman70.3の世界選手権の切符を獲得。
しかし事故で再び腰椎圧迫骨折,肩板損傷,頚椎捻挫等々…2月から減量を開始し,4月からトレーニングを再開,この50日間は試行錯誤しながら質量共に今迄にないスタイルでトレーニングを重ねた。そして初めてIronman raceに備えレースに臨んだ。
今回KONAのスロットを獲得出来たのは自分の力だけでなくトライアスロンを始めると決めて7年間で出逢ってきた仲間達やUNITYのメンバー達,Bike FittingやCoachingを受けて頂いた皆様,そして応援して頂いた方々のお陰なのは間違いない。
事故による腰椎2ヶ所の骨折と脚を2ヶ所骨折,その他にも腱断裂等々様々な怪我や不運により,運動できた期間は2年半では数ヶ月‥この悪夢の2年半の間に何度も【トライアスロンはもう自分では出来ないな】と思いつつ淡々とリハビリを続け,去年から復帰。
自分にとっては順位もタイムも他との比較,完走の有無さえも大きな意味をなさず,ただその舞台に立ち【いま”現在”の最善を尽くせたこと自体に感謝】しかない。
日常生活では勿論,交通事故で意識不明になった時も,骨折と腱断裂の後遺症で,歩行すら困難になった時も,常に支え続けてくれた家族に感謝,ありがとう^_^
Asia-Pacific Championshipだけあり参加者もかなり多く,今回は暴風雨のレースでしたが大会の運営も素晴らしく,最高の大会でした。来年も必ずこの舞台に戻ってきます!
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